二足す二の自由 |
2022-10-17 Mon 17:26
ジョージ・オーウェルの1984年より。
高橋和久 訳 『自由とは二足す二が四であると言える自由である。 その自由が認められるならば、 他の自由は後からついてくる。』 完全管理社会になった世界で 公文書の改竄を職業としている主人公の心境は とても今の私にリンクしていて 胸がつまる 今は昔に比べ生活も良くなって 豊かであると 無理矢理に思い込まされ 疑うものはすぐ粛清される 治安は乱れ 衣食住も配給 ただ腹が満たされるだけの 最低限のまずい食事 友人や家族の かすかな反社会的思想も行為も 後ろめたさなく通報し 良き市民になろうとする人たち それがこの世界での 模範的な幸せな住民だ 主人公はあからさまなウソも 仕事だからと仕方がなく事務的に行う。 …それは過去の出来事が歴史が 永久に失われて政府に都合よい内容に 書き換えられという…結構ヤバいことだけど。 それが仕事なのだからやるのだ。 だけどどうしようもなく 違和感だけ強くあり 自分は狂人なのかとさえ疑う そのうち二足す二は五と書かなくては ならなくなるのかもしれない世界 そのあからさまな間違いも 素直に受け入れるしかない市民 粛正を恐れながら 自由だったかもしれない過去の 痕跡を探ろうとする ずっと前から日本もこうだった 二足す二は すでに五と言わなくてはいけない国 空気は読まなくてはいけない日本だ その先に今おこってる 言論弾圧、情報統制と改竄 これをされたら 他の全ての自由どころか 命や健康、安全も失うとおもうのだけど もう実際そんな感じになっているけど 物質的な面は まだなんとか豊かかもしれない でも長くもたないと思う 言論、文化、情報への強い弾圧 それらに目がいかないように バラエティーに富んだ快楽、享楽の自由 3Sの成れの果て 今もほとんどの日本人は 自由で民主的な世界に 生きていると思ってるんじゃないかと思う 私は狂人かもしれないけど 二足す二は四だという思いは変えない どちらがいいも悪いもない Cogito ergo sum 我思う、故に我在り 正解か不正解か 真実か嘘かの正しさなんかはどうでも良い そんなもの追いかけると 社会の風潮や 自分より他人や物を信じるようになるし 惑わされる 流れに身を任せるのと 流されるのは全く別物 考えは流動的で 日々変わる自分がいる 絶対はないけど 今こうやっていつも ああでもない こうでもないと 頭の中で考える自由を。 人間であることを捨てないで生きてたいもんだ。 10月空席状況 アロマヒーリングはちみつホームページ
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